日栄興業株式会社 パチンコ

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しかもこの時、旅団の諸隊は戦闘と長期の行軍、そして何より物資の不足で困窮し尽くしており戦意も心身も最悪の状態にありました

23日になりビャン(=シュル=ドゥー)に接近した一編成の列車は独軍から砲撃を受け(既述通り拿捕されます)、またカンジェーにも独軍が接近しますが、仏兵は士官たち必死の引き留めにも従う者は少なく、部落死守の命令も虚しく短時間で戦闘を放棄して勝手に退却を始めてしまうのでした

 これら将兵は潰走状態でビュジー(カンジェーの北東8.7キロ)に向かいますが、この時増援に向かった同師団砲兵や歩兵の士気をも奪ってしまい、増援を率いて反撃を指揮しようとした師団長ダステューグ将軍もカンジェー奪還を諦めてしまうのです

アルク=エ=スナン(王立製塩所) ドゥー川右(北)岸では、午後に入ってブルバキ将軍がボンネ師団を第18軍団の主陣地からドール方向(西)へ動かし、クレメー師団をその後方へ移動させ続行させました

このため、ダンヌマリー(=シュル=クレット

ブザンソンの西南西12.6キロ)で砲撃戦が惹起(既述)されましたが、これは双方殆ど損害を与えることは出来ませんでした

若く精力的なクレメー将軍は夜襲を計画しますがその準備中ブザンソンから撤退命令が届き、師団はサン=フェルジューの陣地まで後退するのでした

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 ブザンソン市内には1月15日から17日に掛けて臨時護国軍9個大隊と槍騎兵1個隊が到着しますが、これらは全て要塞都市の守備から第15軍団諸隊への補充へ転じた守備隊の穴埋めに使われます

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しかし、これら「遅れてやって来た」護国軍兵たちが手にしていたのは米国や英国から届いたエンフィールド小銃で、この弾薬はブザンソンに全く備蓄がありませんでした

従って錬成も覚束ないこれら部隊は結果的に文字通りの「無駄飯喰らい」となってしまい、要塞の糧食担当幕僚たちの悩みを増やすだけに終わる恐れが出て来ました

これに怒ったロラン准将は直ちにこれら部隊を南方へ送り返すのです

輸送手段もなく手持ちの糧食も心細かったこれら諸隊は、いきなり回れ右で寒空へ放り出された訳ですが、独軍がブザンソン南方にまで出現した折、大迂回路を取りノズロワ(ブザンソンの南51.5キロ)やシャンパニョル(ノズロワの西南西10.5キロ)を経て何とかロン=ル=ソニエの防衛司令官の下へ辿り着くのでした

ドール街道沿いで戦うクレメー師団(1871.1.22)

ブザンソン俯瞰図(19世紀末) 独南軍本隊となる第2と第7軍団はブザンソンの北方と南西方に進んで仏東部軍の南下阻止を図りましたが、更に敵を追ってブザンソンの南方地方へ作戦域を広げようとすると大変な困難が待ち受けることとなります

 仏南東部・スイスとの国境付近に起立するジュラ山脈はブザンソンの南方近くまでその支脈を延ばし、特にサン=マルタン=デュ=モン(リヨンの北東53.3キロ)から始まりロン=ル=ソニエ(ブザンソンの南南西72.1キロ)を経てブザンソン、ボーム=レ=ダムへと続く山脈はドゥー川下流域とソーヌ河畔に広がる平地に対してはっきりとした段差を作りその斜面はかなり急となっていました

 この山脈の東側は大概が高原となっていますが、所々で横切るドゥーやソーヌの支流が深い渓谷を作り出し、多くが北東から南西に掛けて走るジュラの支脈がこの渓谷を複雑に蛇行させ、またその両岸は往々にして絶壁となって人々の通行を不能としていました

 これら支脈の谷間にある天然の障害物・両岸が深く切り立つ渓谷はそう長くは続きませんが、南へ進む街道は限られており、10万近いブルバキ将軍ら仏東部軍がブザンソンからの南下を期すとなると、通行可能な街道はアルボワを経るロン=ル=ソニエへの本街道(現・国道N83号線)か、オルナン(ブザンソンの南南東17.3キロ)へ迂回しサラン=レ=バン(カンジェーの南18.2キロ)を経てシャンパニョル方面へ至る街道(現・国道D67~D492~D467号線)が本命となり、それ以外は既に仏第24軍団の一部が使用するモンベリアール~サンティポリット~ポンタルリエ街道(現・国道D437号線)を進み、ポンタルリエから先はロン=ル=ソニエを目指すシャンパニョル街道(ブザンソンから追い返された護国軍集団が使用中の現・国道D471号線)や、スイス国境に平行して南下するサン=ローラン=アン=グランヴォーへの街道(先のD437号線の続き)を使用することが考えられました

サラン=レ=バン(左手にブラン砦) スイスとの国境至近の街・ドゥー川上流域の中心地でもあるポンタルリエはジュラ山脈中の主邑で、街道が四方から集まる交通の要衝でもありました