ドラゴンズ・リアム

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そこで『孫子』を書いたのは孫ピンではないか、という疑念がありました

 しかしその疑念が晴れる日がやってきます

 中国山東省の銀雀山漢墓に数多くの竹簡が遺されており、その中に従来の『孫子』十三篇の他に別の『孫子』が存在しているとわかったのです

これにより孫武氏が書いた『孫子』は『呉孫子』またの名を『孫子兵法』、孫ピン氏が書いた『孫子』は『斉孫子』またの名を『孫ピン兵法』と呼んで区別することとなりました

 通常『孫子』と呼ばれるのは『呉孫子』だけです

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しかし『孫ピン兵法』も一読しておくと応用がきくようになるので、入手はしづらいのですが必ず読んでおきましょう

孫子から刺激を受けた魏の兵法書『呉子』『呉子』も比較的歴史が古い

しかし『孫子』が戦略を重視していたのと異なり、将軍としての心構えや戦場での戦い方だけでなく政治についても説いています

 おそらく呉が「春秋五覇」に躍り出た立役者が兵法書『孫子』を著していて参考になしたのを引き合いに、魏の史官が名将・呉起の言葉をまとめたものでしょう

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実際にはその後、呉起は楚の国にスカウトされてそこでも才を発揮します

しかしあまりにも軍律や法律を厳格に適用しすぎたため、既得権者から疎まれて楚王が死んだのち呉起は「車裂きの刑」に処されました

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さしもの天才用兵家も凄惨な最期を遂げたのです

周王朝開闢(かいびゃく)の祖・太公望の兵法『六韜』『六韜』は紀元前十一世紀に殷王朝の紂王を打倒して周王朝開闢に貢献した軍師「太公望」姜子牙またの名を呂尚の用兵をまとめた書とされています

 太公望が周の文王・武王に術策や戦い方を教える形で書かれています

ですが戦国時代の戦法に触れている部分があるため、太公望の書ではなく彼が封じられた斉の国で戦国時代に作られた偽作とする説が有力です

 兵法の起源をどこに置くかは判断が分かれます